宮澤賢治の童話がすごい!
私が持っている文学全集は、たった二つです。「漱石全集」と「宮沢賢治全集」漱石先生についてはライフワークとして生涯、研究を続ける予定ですが、宮沢賢治はただ面白いから読みます。まだ全部は読破できていませんが、少しずつ進めています。そんな中で、おすすめの作品を紹介したいと思います。もし興味が出たら、読んでみてください。奥が深いです。メルヘンです。
小学校の教科書には、賢治の「やまなし」がありました。「クラムボンはわらったよ。」という話。ふしぎな話なので、主人公はだれなのか、誰が話をしているのかなど、先生でもわからない事ばかりでした。このほかに「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」は有名ですね。今回は、それほど有名でもない話が入っています。宮澤賢治の作品には、自然を愛する気持ちが溢れています。景色をあらわす表現も色彩感があり、情緒的です。まわりの全てのものをいつくしむ姿勢が、根本にあると思います。読めば読むほど、惚れる。作品に惹かれていくでしょう。
雨ニモマケズ手帳より
「雨ニモマケズ」の詩は、わたしが小学校4年生の時に暗記した初めての詩です。別に自分が好きで覚えたのではなく、担任の先生がこの詩を好んでいたからだと思われます。50年経った今でも、暗唱できます。今から思うと、とっても貴重な経験でしたし、意味はよく分からなくても、作者の強さ、意識、願いがあらわれていて、リズム感もいい詩でした。そういうものに私もなりたいです。
雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモ マケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ嗔ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日二玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ東二病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテ͡コハガラナクテモイイトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモサレズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ筑摩書房【新】校本 宮沢賢治全集第13巻より
素晴らしい心構え。本当は極めて優秀で、感受性が強く、天才であった宮沢賢治ですが、謙虚で、誠実さを感じます。今の若い子が言うなら「マジ、半端ねえ。」って感じ。
どんぐりと山猫
これも深い話です。主人公の一郎のもとにはがきが届きます。それは「やまねこ」からのはがきでした。「明日、面倒な裁判があるから来てくれ」という内容でした。行ってみると、どんぐりたちが、誰が一番偉いか争っている裁判。一郎は即座に、誰が偉いのかを言います。そうするとどんぐりたちの争いはなくなり裁判は上手くいきます。人間の社会を風刺している作品だと感じました。「誰が一番偉いか」という問題に、各自が自分勝手なことを言い始め、収拾がつかなくなる。そんな事ってしょっちゅうありますね。それを一刀両断にさばいているところが、心に残ります。子どもの頃に読んでも、意味が分かりませんでしたが、今なら沁みます。
よだかの星
賢治の作品は、命の儚さや、弱者への心遣いを物語の中にうまく封印しているようです。読み手によって感じ方は違うでしょうが、この「よだかの星」も、いわれのない差別や力による脅しによって、よだかがどんどん追い詰められていきます。明治、大正の時代には、こんなことが日常茶飯事だったのかもしれません。自分が見たり聞いたり、実際に経験したりすることを物語にすることで、何かを訴えているような気がします。読後は、なんだか寂しい気持ちになる話です。
虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)
賢治の作品の中で、この索引が一番好きです。ちょっと知恵遅れの主人公に、作者は、同情的です。私が育った所にも昔は、知恵遅れの子がたくさんいました。病気のせいなのか、出産のときの後遺症なのか、近親結婚のせいなのか、とにかくそんな人を何人も知っています。友だちでしたが、一緒に遊んだり、バカにしたりもしました。田舎では、そんな子を恥ずかしがって、外に出さない親がいたようですが、今はいい時代です。知恵遅れの子たちは、男の子に多いような気がしました。養護学校(特別支援学校)などはない時代でしたから、普通の小学校のクラスにいたのです。特殊学級も出来た頃でしょうか。この作品の主人公「虔十」は、よく働きます。実直。真面目。根気強い。その「虔十」が、ある日両親にお願いをします。「杉苗七百本、買って呉ろ。」欲しいものをねだったこともないような子でしたから、両親はその願いを聞き入れました。まわりの人たちは、「虔十」をバカにします。杉が育ってくると、自分の畑がかげになるというので、杉を切れと言われ、殴られたりします。そんなことがあっても、「虔十」は、杉の木を大切に育てます。その後、「虔十」は腸チフスになって亡くなってしまいますが、、、。やがて、杉たちは立派に成長し、大きな杉林になり、多くの人の憩いの場になります。何が大切で、どんなことが尊い行いなのかを、読者に問いかけます。障がいを持った主人公の性質や生き方を理想としているんじゃないかと感じました。
なめとこ山の熊
命は巡り巡っていく話。主人公は「小十郎」という猟師です。家には、土地もなく、しかたなしに熊撃ちをして生計を立てているけれども、なかなか売れません。ある日、山で熊に出くわすと、熊があと二年待ってくださいと命乞いをします。その願いを聞き入れますが、二年後、約束通り熊は「小十郎」の家の前にばったり倒れていました。熊撃ち名人の「小十郎」は、そのあと、、、。命を奪う仕事は、切ないと思いますね。知り合いの猟師さんも、自分の背中に一杯生き物の例がとり憑いているはずだといっていました。殺生を生業とする人たちの宿命でしょうか。そんな猟師さんの目には、生き物に対する優しさがあふれています。同時に、厳しさも。
セロ弾きのゴーシュ
これは心温まる話だなあと思います。セロを弾くのがへたくそなゴーシュは、指揮者に散々罵倒されます。遅れるだとか、音色がなってないとか、、、。小屋へ戻って、ひたすら練習するのですが、扉を叩く音がします。毎晩次々に訪れる森の生き物たち。はじめはゴーシュも嫌がっていましたが、そのうちに、自分のセロが動物たちの病気を治していることを知ります。何日か経って、演奏会の日。いきなりソロで、何か弾いて来いと言われたゴーシュは、みごとに聴衆の心をとらえます。動物たちの病気を治していたんではなくて、動物たちが自分のセロの練習をしてくれていたことに気づきます。人のためにしていることが、結局は自分のためになっているということですね。誰かに教えているときにも、自分が他のことを習っているという感覚でしょう。大人になって、宮沢賢治の童話を読めて、幸せな気持ちになりました。夜遅くまで読み返しましたから、ちょっと眠いですが、、、。わたしの幻燈はこれで終わりであります。(わかるかなあ?)