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Macchi こんにちは、Macchi(マッチ)です。日本の田舎暮らしや、そこでの生活・考え方について書いています。

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住まい、暮らし、そして生き方について。SP Life の記事です。

記事はすべて、書き手が自分の言葉で書いています。うまい文章ではないかもしれませんが、そのぶん、その日その場所で見たこと・感じたことがそのまま残っています。英語版は翻訳の補助にAIを使っていますが、内容はいっさい変えていません。

人生の意味について・再び【何のために生きるべきかを考える】

2021/02/09SP Life

以前、人生の意義について語ったことがあります。結論は「人生に意味なんてない」ということだったと思う。つまり、たまたま生まれてきただけで、生きる意味はない。哲学者がどんなに考えて導き出したとしても、生きる意味はない。私はそう考える。その辺にある石をどかしてみると、ダンゴムシがいる。右往左往して、すぐにでも隠れようとする。まさに、人間の人生そのもの。何か起きれば右往左往して、安泰な生活を求める。結局人間もただの生き物なんだと思う。楽に生活できて、、、。食べ物がふんだんにあって、、、。子孫を残せればいい、、、。虫も魚も動物もそんな風に生きているじゃないですか。いかに生きるべきかなんて考えてはいません。人にどう思われるかも気にしません。自分の好きなように、きわめて利己的に生きているはずです。人間もかつてはそうだったでしょう。生きることに精一杯だったから。略奪し、騙し、あらゆる策略を練って自分を生存させた人たちの末裔が私です。自分のDNAを残すためならどんなことでもします。何千年もの間、多くの哲学者が考えてきたことは、空虚なたわごとにしか聞こえません。動物のように貪って、好き勝手なことをすることこそが幸せなのではないかと思います。どうせ人類はもう1億年は持ちません。恐竜よりも寿命が短いでしょう。

何かにとらわれて、やりたいことをしないでいるのはもったいない。あらゆる手を尽くして、やりたいことを実現する。これが真の「生きがい」ではないかと思います。人のために生きる?これは単なる自己満足でしょう。子どものために生きる?これは理にかなっています。DNAが継承されますから。どんな行動も、その理由を考えれば明白です。どんな行動も自分のためにしていることに他ならないから。どんな善行も、自分のためです。人助けも、ボランティアも、、、。結局人間は極めて利己的で、自分さえよければいいという根本があります。余裕がある時には多少は人のためにすることもあるでしょうが、、、。

では今自分が何をしたいのかを考えます。美味しいものを食べたい気もするけど、それが一番でもない。有名になったりすることも興味がない。お金持ちになることも、気が向かない。いろいろ考えると、子孫を残したい。これに尽きるかなと思います。別に放縦な性交渉が好みではありません。誰でもいいわけではない。子育ても大変です。楽しいけれども、自分の時間が半減するから。子どもを残すために生きる。これはまさしく生き物としての本能。実に明快で良い答えですね。そのためにすべきことがまた煩雑で嫌気が差すけれども、、、。やっていくしかないのでしょう。本を読んでも、答えはないし、人に聞いても明確な答えを持っている人は少ないでしょう。そんな人に会える確率も低い。自分は何のために生まれて、なんで死ぬのか。その答えが見つかるときはこの世にいない時なのかも。自分がこの世に存在した証を残したい。それは作品でもいいし、事件でもいい。

毎日、十分な時間があるので、余計なことを考えます。そして、今が一番幸せなのかもと思います。あれこれやりたいことも見つかります。根っから熱中しやすく飽きっぽい性質なので困ります。考えて計画したことが少しもはかどらない。計画倒れで終わることを危惧しています。次の目標は「日本を出る」つまり海外で生活してみること。第一希望はイギリスの片田舎。ボロの小屋に住んで、パブに入り浸り、、、。ジョンブルと口論します。やれ日本の方がすごいとかイギリスの方が優れているとか、、、。結局互いを尊重して、いいやつだ、、、で終わるんでしょうけど。自分は、初対面でもうまくやっていけると思います。息子が、人に対してやたら積極的なのも、自分の性質を受け継いでいるのかと思わされます。これはいいことでもありますが、、、。お調子者ということでもありますね。最近は、食べたいものにも執着がなくなってきました。美味しいものを食べたいという貪る気持ちが薄れてきたのでしょうか。女性に関しても同様。まあ貪ったりしませんけど。欲しいものも少なくなってきました。歳をとったのでしょうか。先立つものがないせいでしょうか。でも、絶対に譲れないものもあります。自分の時間を奪われないように確保したい。これは譲れません。働いている時には、トイレに行く時間も自由にならなかった。そんな生活はもうこりごりです。

今は、好きなジャズを聴きながら、コーヒーを楽しんでいます。何にも縛られず、自由。こんな幸せはありません。自由のために自分は生きている。そう思い始めました。子ども時代のように、自分の時間を好きに過ごせる幸せ。人生の目的は「自由」だったのでしょうか。そう思えるほど快適です。ストレスもなし。誰からも指示されない。何もしなくていい。何かをしてもいい。すべては自分に委ねられている幸せ。これ以上何を望みましょう。明日死んでもいい。そう思えるほど幸せ。でも、最後にこのわたとカラスミでうまい日本酒を飲みたい。〆は、鯛茶で。こう考えるとどこまで食いしん坊で貪欲なんだろうと思います。食べたいものや欲しいものがないなんて眉唾?嫌そんなことはありません。もう煩悩はなくなったのですから。中臣鎌足ではなく物欲の塊(かたまり)【欲しいものが多すぎる病】

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