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Macchi こんにちは、Macchi(マッチ)です。日本の田舎暮らしや、そこでの生活・考え方について書いています。

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住まい、暮らし、そして生き方について。SP Life の記事です。

記事はすべて、書き手が自分の言葉で書いています。うまい文章ではないかもしれませんが、そのぶん、その日その場所で見たこと・感じたことがそのまま残っています。英語版は翻訳の補助にAIを使っていますが、内容はいっさい変えていません。

いま会いたい人【心に残る人たち】会ったらたくさん話したい

2021/01/05SP Life

新年を迎えて、時間がたっぷりあるので、いろいろなことを考えます。昨日のブログでは娘たちのことを記事にしました。もちろん娘や息子たちにも会いたいですね。もう10年くらい離れているから、みんないつの間にか大人になっているんだろうと思います。子どもたちに会いたくなるのはもちろんですが他にも、会ってみたい人がいます。手紙でもいいんですが、、、。連絡が取れたらなあ。もちろん住所録は持ち合わせていませんが。

高校時代の部活の後輩馬場くん

馬場君は高校の2つ下の後輩でした。新設校で、私たちが一期生でしたから、彼は3期生。ラグビー部に入ってきて、ものすごい力を発揮しました。力は強いのに不器用なところもあって、そこが好きでしたね。ハイパントをキャッチするときに必ず突き指をしていました。それも何度も同じところ。もう少しキャッチの仕方を教えてやればよかったと後悔しています。無口でしたが、勉強も出来て、本来ならもっといい高校に入れる学力でしたが、近いから選んだようです。実家は農家だったので、上の学校には行かないつもりだったのでしょう。彼とは偶然に同じクラブに入りました。必修クラブといって、放課後にやる部活とは違います。どんなクラブにでも入れたのですが、私と馬場君は偶然にも同じクラブで出会いました。それが「座禅クラブ」ただ45分間座禅をするだけ、、、。暗い部屋でずっとです。結跏趺坐(けっかふざ)といって、完全に足を組むので、終わってもすぐには歩けません。きちんと足を組めない人は半跏趺坐(はんかふざ)といって、片足は組まなくてもいい方法がありました。どちらも、45分で、しびれるの上を行きます。足の感覚がなくなります。下手に歩くと骨折します。バレリーナのようになってしまうから。座禅クラブは3学年合わせても5人しかいなかったように記憶しています。その後興味があって、京都の寺で座禅をしたことがありますが、辛かった。堅物の無口な馬場君はどうしているだろうか。結婚はしたのかな?雪を眺めながら、そう思うことがあります。そうそう、馬場君は弟のクラスメイトでした。弟に聞けば連絡先が分かるかも、、、。

小学校の時の同級生榎本くん

榎本くんは、いつも浅黒い顔をしていました。陸上の練習でも水泳大会の練習でもなくてはならない人でしたね。いつもいい所で活躍していました。子どもの時にはわからなかったけど、彼は先生から文房具をたくさんもらっていました。子ども心に「いいなあ」と思いましたが、、、。きっと家に事情があったんでしょう。お父さんがいないとか、貧しかったとか、、、。いま何をしているんだろう。彼との一番の思い出は、鼻くそを付けられたこと。それも真っ白な新しいセーターに。その時はがっかりするやら腹が立つやらでけんかしたけど、彼はうらやましかったんだろうなあと思います。真っ白な新しいセーターが。

中学の時の同級生ゆもちゃん

中学生になって、自転車でいろいろなところに出かけました。その中学は2つの小学校から集まるので、まだ知らない学区に出かけたものでした。走っている最中、自転車のペダルと、地面の間に足が挟まって足の指から出血。それを見たゆもちゃんが家から絆創膏を持ってきてくれて、貼ってくれました。苗字も名前も忘れましたが、ゆもちゃんと呼ばれていたのは覚えています。ゆもちゃんの家はお寺でした。

幼なじみのまりちゃん

小学校に上がる前、同じアパートの別棟に住んでいたまりちゃん。頭が良くて、運動も出来て素敵な子でした。小学校の3年生くらいで引っ越してしまいました。その後、はがきが来たりしましたが、中学くらいにはもう音信不通。そのアパートは私が引っ越してからすぐに取り壊されました。大人になってから、自転車で行ってみたことがありましたが、家は別の家になっていました。道路も子どものころと比べて狭く、遠いと思っていたところが、ものすごく近くでした。

懐かしい思い出の場所がなくなった感じがしました。

親戚の重四郎おじさん

うちは親戚づきあいをしていませんでした。というのは、父親が捨てられたから。ですから、母親の親せきが来ると嫌な顔をしていました。電話を引かなかったのも、仲良くさせないためだったのでしょうか、、、。うちのアパートに一度親戚のおじさんが訪ねてきたことがありました。妹が4つくらいの頃。私は中学生でした。その重四郎おじさんは母の弟で、横浜の方で事業主になっていると聞きました。小さな工場ですが一応社長ですね。乗ってきた車はスバルの360。テントウムシっていうやつです。家族4人で、大変だったんじゃないかな。

いつもニコニコして、やさしかったおじさん。結婚式の時に招待したら、喜んでいました。理由を聞いたら、「お偉いさんが一人も来ていないのがいいね。」ということでした。そういえば、上司も仲人もいなかったですから、、、。

家に遊びに行ったことのある杉浦先生

先生とは距離を置いていましたが、この先生の家には遊びに行きました。友達と一緒に。確か東京の下町に家はあったと思います。先生も若かったからまだ家族と一緒に住んでいて、お母さんに文句を言われていたっけ。年が近かったから、落ち着いて話せました。先生は覚えていないかもしれませんが、一番親しみを感じた人でした。もう70歳を越えているんでしょうね。

高校の時に付き合っていたちこちゃん

高校1年生の時に一目惚れ。木の実ナナのようにキュートで素敵でした。ちょっと太めでしたけど、、、。わずか半年で破局。いけない火遊びが過ぎたようです。千葉の柏に住んでいるという話を聞きました。もう40年会っていません。高校生の時には結婚したかった人です。今はどうしているのでしょう。合ったらお互いに幻滅しそうです。40年という歳月は、、、。いい思い出にしておくのが無難のようですね。

大学の時の淡い思い出英子さん

好きになった人の中で、美しさナンバーワン。この人とは何もなかったけど、一緒に楽しい時間を過ごせました。だからかえって、心に残るのかもしれませんね。彼女は富山県の人でした。両親も先生だったから、姉妹は教員養成の大学に進んだのでしょう。彼女は遅れて登場しました。誰もがその美しさに魅了されました。マドンナだったのです。一番うれしかったのは私の入院している病室に見舞いに来てくれたこと。それも一人で。こっちは手術後まもなくで、笑ったりすると傷口が痛いのに、、、。その後、何度かデートをしました。デーといってもただ学校の帰りに一緒に帰ったり、喫茶店に行ったり。卒業は彼女の方が1年早かったので、最後の集まりの時に告白しました。「ずっと好きだったんだよ。」って。それで彼女と私のストーリーはおしまい。何年かして、テレビのCMで見かけたことがありました。ドラマにも出ていたようでした。

淡い思い出。大切にしまっておきました。ある時、彼女が歩きながら、「私欲しいものがあるの、、、。」って唐突に言ってきたことがありました。びっくりです。あなたが欲しいなんて言われたら、、、。妄想が妄想を生みました。でも結局欲しいものは「ギター」でした。ギターを習いたかったようです。妄想した私がバカだった、、、。いつか会ったら、聞いてみたい。「ギターはうまくなった?」

初恋の人 あべちゃん

もう45年前。この人しかいないと思った人です。はかなくも彼女は17歳で結婚してしまいました。あまりにも早熟ですね。それからの私は抜け殻です。もう今では美化されてしまって女神のようです。好きになる人は彼女の面影を重ねているのでしょうか、、、。それとも単に好きなタイプだからでしょうか。今あったら、動機がして心臓が止まってしまいそうです。

詳しくは過去のブログで、、、。レンゲソウに思う

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